ある日ふと、その人の名前がどうしても思い出せなくなっていた。そんなことはないだろうか。
ど忘れともどこか少し違う。 顔も、声も、会話のテンポも明確に記憶にある。関わっていた時期、やり取りの量、どのような提案を交わしていたか、それらはすべて鮮明に残っているにもかかわらず、「名前」だけが、完全に脳内から消えている。そのような現象だ。これは実際に筆者が経験したことだ。
この現象に気づいたのは、あるビジネス上のいざこざから数カ月が経過した頃だった。詳細は伏せるが、とある人とのビジネス的な関係が表面的に終わったのが年末。しかし今年の春ごろに、相手側の行動によって大きな問題が顕在化した。
衝撃を受けながらも冷静に対処してきた。当然、その一連の流れが、自身の記憶にどう作用していたのかなんて、全く把握していなかったし、そんな考えにも及んでいなかった。
記憶の仕組みにおいて、「名前」は象徴的な意味を持つ。関係性に対するラベルであり、記憶の索引でもある。対象を明確にする“シンボル(象徴)”として機能する。 しかし、特定の出来事が自身にとって強い不快感や喪失感をもたらした場合、人間の脳は防衛的に、その象徴を切断することがあるそうだ。心理学における「選択的忘却」や「意味記憶の遮断」が、まさにこのようなケースを説明する現象と言える。
この現象は、近年の神経科学でも観察されている。たとえば、2001年にAnderson & Greenによって提唱された「Think/No-Think パラダイム(意図的記憶抑制)」では、人間は思い出したくない記憶を意図的に抑制し続けることで、最終的にその記憶の想起率を低下させられることが示された。
加えて、感情記憶の処理に関与する扁桃体(情動反応を司る脳の部位)と海馬(記憶形成に重要な役割を果たす部位)の相互作用は、強い感情が記憶の保存・想起に与える影響を左右するそうだ。とりわけ否定的な感情に結びついた記憶は、部分的に断片化されたり、思い出す際に情報が遮断されたりする傾向があると言われている。
つまり、記憶の中で名前だけが抜け落ちるという現象は、「偶然」ではなく、脳が自己防衛のために選別を行った結果とも言える。これは一種の"神経的ディスクローニング"(情報の切り離し処理、脳内データの関連性を意図的に分断する現象)とも解釈できる現象だ。