企画展、アートフェア、オークションなど多彩な話題が飛び交うアートの世界。この連載では、毎月「数字」を切り口に旬なトピックを取り上げていく。構想10年。東日本大震災の記憶を未来へとつなぐアートプロジェクトとは。

「アートは世界を変える。そんな大きなことも言っていたけれど、震災では1ミリも変えることができなかった」
2月、都内で行われた会見で、宮島達男は3.11をきっかけに取り組んできた「時の海 - 東北」プロジェクトについて語った。
1998年のベネチア・ビエンナーレでLEDの数字カウンターを用いたインスタレーションを発表。国際的な注目を集めた宮島は、以来、世界30カ国以上で作品 を発表してきた。アーティストとして一定の評価も実感していたときに起きた東日本大震災。当時、東北芸術工科大学の副学長をしていたこともあり、学生とともにボランティアや募金などに努めたが、一時はショックで作品をつくれなくなった。
日本中がみな自然の脅威に直面した、はずだった。しかし、数年後にそれを忘れたかのように元に戻る日常に、危機感、無力感を感じた。
震災の記憶を継承し、未来につなぐプロジェクトができないか。何もできなかったアーティストの自分への“落とし前”として、10年前に構想したのが「時の海 - 東北」だ。《Sea of Time》は、1から9を表示し、0で暗転する複数の数字カウンターからなる作品。水盤のなかで、異なる速度で数字が点滅する。「それらのハーモニーが生と死の繰り返しを表す」と宮島は言う。
![宮島達男|《Sea of Time - TOHOKU》[部分]|2020](https://images.forbesjapan.com/media/article/79029/images/editor/e3215455afb6aecd582665be3be427b618798986.jpg?w=1200)
今プロジェクトでは、東北を中心に全国でワークショップを実施し、3000人がカウンターの表示速度を設定する。例えば、被災したときの年齢、子どもの誕生日など、思いを込めた数字の速さで動くカウンター3000個が、40×22.4mの水盤のなかに光る大作となる。参加型にしたのは、過去に直島で島民と共創した経験からだ。
「最初はよくわかっていなかった島の方々も、それが展示され、世界中から人が訪れるようになると、自分の庭や路地を掃除し、作品のガイドをするまでに。作品に参加することが誇りと自信につながると確信しました」。

会見では、福島県富岡町に美術館を建設することが発表された。海を見渡せる場所を探して3年、たどり着いた地は福島第一原発と第二原発に挟まれているとあり逡巡もしたが、その地で前を向く人々に出会い、「知識から希望は生まれない。リアルな暮らしがあるこの場所でこそ」と決断。建築を担う田根剛も「元気に走りまわる子どもたちを見て、ここに未来をつくれない大人にはなりたくないと思った」と語る。
「場所の記憶」から建築を考える田根は、地質、歴史、文化などさまざまな角度で掘り下げて、地形を生かす美術館の在り方を提案。「かつて神社仏閣をつくる際に人々が力を出し合ってきた“普請”の考えで、人の手、人の力でつくっていきたい」という。
ただのハコモノにとどまらない、新しいものが生まれていく美術館を目指し、開館目標は27年。その道のりには、20億円の資金調達も含まれる。
震災によって多くが失われ、今、ゼロから始められる場所としてスタートアップやクリエイターが集いつつある福島。世界的アーティストによる美術館は、その地にどんな付加価値と彩りをもたらすだろうか。
宮島達男◎1957年生まれ。1988年ベネチア・ビエンナーレ新人部門に招待され、デジタル数字を用いた作品で国際的に注目を集める。以来、国内外で数多くの展覧会を開催し、世界30カ国250カ所以上で作品を発表。代表作に《Mega Death》(1999/2016)、《Counter Void》(2003)、《Sea of Time ’98》(1998)など。